生命の青と演歌と私
「この青が見たかった…。」
広場に降り立ち、小道の階段に一歩足を踏み入れた瞬間、目の前に広がるは果てしなく深い青。
この感覚どこかで…そう思う間もなく、去年訪れたギリシャのサントリー島の風景がフラッシュバックする。
ただあの時と決定的に違う何かがここモロッコにはあった。いや、なかったというべきか。
サントリーニは海の香りと潮風に攫われるようにして、全身が潤いで満たされるような青。
対してシャウエンには「水」がない。
砂漠に近く、カラッカラの大地に広がるその青には、水を渇望した人々の、水への憧れや水そのものの生命力すら感じられる。
そこには潤いをもたらすかのように真っすぐな「青」、恵みの「青」、生命の「青」が存在していた。
彼らにとって青とは、砂漠のオアシスなのだろう。
オアシスを踏みしめながら、街中に響き渡る演歌のような歌声に耳を傾ける。
そうか、もうお祈りの時間か。
一日に5回あるというイスラムのお祈りで大体の時間が分かるようになり、いつの間にか腕時計をしなくなった。
腕を縛っていた時間という概念を脱ぎ捨て、軽やかな腕を振り振り、やはりここはヨーロッパでもアジアでもないのだなあと痛感する。
街は静かだった。殆どの家の青い扉は閉まり、普通なら壁に掛けられているはずの雑貨達の姿もなく、ただただ青い道に吸い込まれて行く。
後で知った話なのだがこの日は金曜日。15:00ごろまでお祈りをし、それを済ませてから人々の生活が始まる日だったのだ。
お陰で雑貨に埋もれるはずの壁の青も隅々まで堪能でき、拳の効いた演歌と一緒にイスラムのオアシスに溶けて行く。
何十種類も入っている色鉛筆を見た事があるだろうか?
小学生の頃誰かが自慢げに学校で見せびらかしているその数十色の色鉛筆を尻目に、24色の色鉛筆を握りしめていたのを覚えている。
あの色鉛筆の束を以ってしても、こんな豊かな青は作り出せないだろう。
私も知らず知らずのうちに生命を渇望していたのだと、まざまざと感じさせられる。
そんな透明で深くて容赦ない青。
青が剥がれ所々見えている土色は、理想と現実の間に彷徨う自分そのもののようで、それはそれで何とも愛おしく感じる。
この街と一体化しよう。
そう思い立ち、青色の民族衣装ジェラバを身に纏う。
生命の青と演歌と私。
境界線が分からなくなるまで、ただひたすらにこのオアシスに酔い痴れよう。